のである

JUNO2004-10-17

alotrac氏とお話中である。

記憶の話になって、懐かしさを通り越した記憶が「よくしってる話を読む」感覚になりつつあるという話をしていた。

これについては、自分がそう仕向けている節もあるのではないか、という気がしてくる。それは、特に嫌気が差しているからとかではなく、動物の本能としてかもしれん。考えるのは苦手なのでまあこの辺で。

考えるのが苦手なわたしは、とらえることがすきである。キャプチャーするのである。それはぱっとみた溝に流れている水が、きれいでもなくきたないでもなく、そのものでありますなあ。といった具合に、あーこういうのかーいいなーみたいな感じ。別にいいとも思ってないんだけど、そこに目をやって、確かにお前(溝と水)をとらえてやったぜ!ってなもんである。ゴゴーっと車がたくさん過ぎていく中、信号待ちをしていて、向かいに小学生が二人。おうおうおまえらを今俺はとらえているぜ!ってなもんである。そういう手法に偏ってきている。

このものの見方を「走馬灯スローモーション」と名づけよう。そして次に組むバンドがあるとすれば、そのバンド名は「走馬灯スローモーション」だ。


明日はおかんをつれて京都にいく。
無性に東山文化にふれたいので、銀閣にでもいこうか。