器は次元が違うから大きくても小さくても構わない。

とかくと厭味みたいですね。ぼくは明治の某作家について卒論を書いたんですが、しかもかなりブルーになりながら書いたんですが、結局彼はいつもこういうことを言っていた気がする。でね、色川武大が好きですよぼくは。それは散々書いてるように麻雀つながりってわけでもないんですよ。こういうことに気付いてたなこの人は、っていうとこが好きなんですよ。それはカートヴォネガットが好きだっていう理由と一緒でね。本読むのとか思想がどうとか興味はないんだけど、あ、この人好きだなってのはこんなぼくでもありますから。結局うまくいえないけど「こんな感じ好きだな」ってのが、生活の細かいことやら音楽やらホンやら映画やらスポーツやらあるわけですよ。それはつまり「雰囲気」なんだけど。
ぼくは割と挙動不審だと自分でも思うんだけど、自分と自分以外ってのは次元が違うからしょうがないなと思うし。俺は容器だからね。関係ないよ。