キセル「ニジムタイヨウ」

くりきんとん氏の日記に

だいたい私は自分のことを真人間でないとは思ってはいないし、だからといって真人間だと思ってるわけでもなく、真人間でないと思ってないことと真人間だと思ってることの差には敏感である。私がまれに自分の真人間性を疑うのは、人から指摘された時であり、そうした場合は大抵いい加減さを非難されることになっているが、確かに私は概して大雑把であり、その大雑把さたるやプリンに醤油をかけて海胆と称しかねないばかりか、その経験をもとに海胆の味を講義(「海胆ってのは塩っ辛いくらいのがいいんもんじゃないかい?」)しかねないほどである。しかし指摘を受けた場合私が真っ先に考えるのはそれを忘れることであり、そのために積極的に努力しているのでそのことについてあまり考えたことはない。また人間には、自分が真人間であると考える者と、自分が真人間でないと考え、真人間になりたいと思う者と、真人間でないとは思うが現状をよしとする者がいるが、そのうち一番数が多いのは真ん中の型であると推測される。要するに、何が言いたいのかというと、私には致命的にバランス感覚が欠如しているのではないかということだ。

という興味深い記事(あえて記事だといいたい)がのってました。興味深いけれども俺にはさっぱりわからないんですが。
「自分が真人間であると考える者と、自分が真人間でないと考え、真人間になりたいと思う者と、真人間でないとは思うが現状をよしとする者」ここだけ抜粋するとわかりやすい。俺はこの三つにあてはまる人物をそれぞれ数人は容易に浮ぶ。

で、俺はどうかというと、結局最後のやつだと思う。そして終いには「真人間って何よ?」と逆切れしそうなもんである。ただ、真人間になりたいという部分も少しはある。それは、ごく基本的なこと、「人に迷惑をかけない」「親を大切に」とかいう部分を意識するに留まる。何が言いたいのかというと、私は致命的に理解度が低いのではないか、ということだ。